プラユットに政治が出来るか?スラユットのクーデター後を辿る軍事政権 [ニュース]
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プラユットの裏切り?
やはりというか、なんというか。
プラユット司令は美人首相の危機に立ち上がったというわけではなかったらしい。
お恥ずかしながら、深読みし過ぎて的外れな見解となってしまった。
というのも、
プラユット・チャンオチャは「軍事政権に反対すタクシン派の蜂起を武力弾圧すること」に反対し、陸軍大将になってからは、武力弾圧は極力避けようとしていた。
さらに、タクシン派のインラック首相が政権を取ってからも、良好な関係を築こうとしており、
「反タクシン派を軍が支援すると言う構図」を終わらせようとしていた人物のように見えたからだ。
名目上、タクシン派と反タクシン派の争いを止めるとして立ち上がり、
一時はタクシン派の副首相を暫定首相に祭り上げたプラユット司令だったが、
プラユット・チャンオチャ
遂に政権奪取を敢行した。
これは、単にタクシン派と反タクシン派の争いを止めたかっただけではなかったということ。
マスコミ的には美味しい展開になってしまった。
そして、剰え自身が首相となった。
軍のトップがクーデター後に政権のトップになるのはよくあることだが・・・これは2006年のスラユットのクーデターでやってしまった失敗だ。
今までのタクシン一派の争いは、
正規の手続きを経ずクーデターで政権を軍部が奪い、反タクシン派に政権を預けてしまったことから始まる。
無論、数的に優位なタクシン派が政権をとった後は、反タクシン派の活動が活発になる。
とは言え、軍が支援しなければ基本的には反タクシン派が政権を取ることはない。
政権を取ったということは、プラユットが反タクシン派の代表として政権に立つということ。
もしかすると、反タクシン派が暴れないように抑えこみ、裏でタクシン派と上手く口約束でも交わすのではないかと言う深読みもできるが、どうもそれにしては一戦を越えてしまったように思える。
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スラユットの失敗を辿るプラユット
しかし、クーデター後に同じことをしたスラユット・チュラーノン(名前は似ているがプラユットではない、親戚とかでもない)は、1年半後に退任し、5年後に政権をタクシン派に明け渡してしまっている。
スラユット・チュラーノン
彼は、なんと軍事政権を作った後に新憲法まで拵え、強引に国民投票を行って新憲法下で政権を握った。
無論これにタクシン派は大反発。
後に、度重なるタクシン派の蜂起を生むことになる。
とは言え、プラユットと同じく、彼もタクシン派を強引に抑えこむ事はしなかった。
そもそも多数派のタクシン派を強引に抑え込むのはリスクが高いというのもあるのだが、
共産党員で中国に亡命したパヨーム・チュラーノンに反発し、共産陣営と戦った彼が共産党の真似ごとをしたくなかったというのもあるのかもしれない。
ともあれ、プラユットが彼の足跡を辿っているのは事実。
多数派のタクシン派を如何に懐柔し、反発を押さえ込めるかが今後のタイの命運を分けると言っても良い。
頼むから憲法を無理やり書き換えるような事はしないで欲しいものだけれど。
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というのも、
プラユット・チャンオチャは「軍事政権に反対すタクシン派の蜂起を武力弾圧すること」に反対し、陸軍大将になってからは、武力弾圧は極力避けようとしていた。
さらに、タクシン派のインラック首相が政権を取ってからも、良好な関係を築こうとしており、
「反タクシン派を軍が支援すると言う構図」を終わらせようとしていた人物のように見えたからだ。
名目上、タクシン派と反タクシン派の争いを止めるとして立ち上がり、
一時はタクシン派の副首相を暫定首相に祭り上げたプラユット司令だったが、
プラユット・チャンオチャ
遂に政権奪取を敢行した。
これは、単にタクシン派と反タクシン派の争いを止めたかっただけではなかったということ。
マスコミ的には美味しい展開になってしまった。
そして、剰え自身が首相となった。
軍のトップがクーデター後に政権のトップになるのはよくあることだが・・・これは2006年のスラユットのクーデターでやってしまった失敗だ。
今までのタクシン一派の争いは、
正規の手続きを経ずクーデターで政権を軍部が奪い、反タクシン派に政権を預けてしまったことから始まる。
無論、数的に優位なタクシン派が政権をとった後は、反タクシン派の活動が活発になる。
とは言え、軍が支援しなければ基本的には反タクシン派が政権を取ることはない。
政権を取ったということは、プラユットが反タクシン派の代表として政権に立つということ。
もしかすると、反タクシン派が暴れないように抑えこみ、裏でタクシン派と上手く口約束でも交わすのではないかと言う深読みもできるが、どうもそれにしては一戦を越えてしまったように思える。
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しかし、クーデター後に同じことをしたスラユット・チュラーノン(名前は似ているがプラユットではない、親戚とかでもない)は、1年半後に退任し、5年後に政権をタクシン派に明け渡してしまっている。
スラユット・チュラーノン
彼は、なんと軍事政権を作った後に新憲法まで拵え、強引に国民投票を行って新憲法下で政権を握った。
無論これにタクシン派は大反発。
後に、度重なるタクシン派の蜂起を生むことになる。
とは言え、プラユットと同じく、彼もタクシン派を強引に抑えこむ事はしなかった。
そもそも多数派のタクシン派を強引に抑え込むのはリスクが高いというのもあるのだが、
共産党員で中国に亡命したパヨーム・チュラーノンに反発し、共産陣営と戦った彼が共産党の真似ごとをしたくなかったというのもあるのかもしれない。
ともあれ、プラユットが彼の足跡を辿っているのは事実。
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