バーグダル軍曹解放!5年捕虜、グアンタナモのタリバン幹部5人と引換え [ニュース]
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アフガニスタンに残された最後の米軍捕虜
ボウ・バーグダル軍曹は、捕虜になった当時は上等兵。
2009年、6月30日。バーグダル上等兵はアフガニスタン南東部にある、パクティーカー州の小さな村の近くで歩哨をしている際に行方不明になった。
この村のすぐ東側には、連邦直轄部族地域(FATA、トライバルエリア)と呼ばれる、パキスタンに属しながらパキスタン政府の支配が及ばない、小さな部族が集合して治めている特殊な地域がある。
パキスタンに属しているため米軍が侵攻できず、さらにパキスタン政府の支配が及ばないエリア。
アフガンが米軍の支配下に入り、イラク攻撃で拠点を失ったタリバンは、当時、このような特殊な地域に潜伏する様になっていた。
そのため、その5日前にも近くで即席爆発装置(IDE)による攻撃で、バーグダル上等兵の友人であるブライアン・ブラッドショー中尉が亡くなっており、かなり緊迫した状況にあった。
そして、彼が行方不明となったすぐ後に、捕虜になった彼の5本の映像が公開された。
同時に、タリバンは100万ドルと21人のタリバン幹部の開放を要求し、応じなければバーグダル上等兵を殺すと米国政府を脅迫する。
米国政府はテロリストと交渉することは無いと取引には応じなかったため、タリバン側は要求を5人のタリバン幹部の開放にまで引き下げている。
しかし、それでも米国政府は取引に応じない上に、何と彼を上等兵から軍曹に昇進させた。
いわゆる二階級特進である。
日本だと戦死者に対して送られるものだという印象があるが、米軍では生死を問わず功績を上げた者や有能な者を大抜擢する場合に大きく昇進する事は普通。
ただ、このようなケースの場合、「敵に捕虜になりながらも屈しなかった勇敢さ」という功績に対しての昇進であり、死を覚悟してくれと家族に伝えるようなもの。
この時に、父親であるボブ・バーグダル氏は息子の死を覚悟していたに違いない。
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必死の外交努力、模索される交換方法
表向きはテロリストと取引はしないとし、捕虜が殺害されることも覚悟していた米国政府。
しかし、本当に捕まった捕虜の救出を諦めていたわけでなかった。
プロパガンダ的に、ブラックホークダウンなどのハリウッド映画で描かれている、
「Leave No Man Behind」
(仲間を決して見捨てない)
と言う精神は、決して嘘ではなかったようだ。
最初の数ヶ月は軍隊を総動員して救出作戦を実行。
しかし、既に他国に連れ去れられた可能性が濃厚であり、軍隊での救出は不可能と判断することになった。
そして、囚人と捕虜の交換方法を模索することになる。
相手はあくまで犯罪者であり、対等な関係ではない。
テロリストや犯罪者は簡単に言うが、
実は、対等な関係ではない二者が、対等な環境で何かを交換する事は非常に難しい。
例えば、この手の交換方法で一番確実なのは、互いに人質を連れてきてその場で交換すること。
しかし、タリバンと米軍。強いのは米軍であり、交換が無事完了した直後に、交換したものをその場で取り返せる力を持っているのは米軍だ。
タリバンとしては、その場で交換する様な真似は出来ない。
では、先に囚人を開放させ、絶対に米軍が取り返せない状況で捕虜を開放させたらどうかと言うと、
そんな状況でタリバンが捕虜を開放すると言う保証はどこにもない。
米軍がそう言う交換方法には乗れない。
そもそも、全くお互いを信用しあっていない二者が取引など出来るのだろうか?
難しいが、方法が無いわけではない。
クレジットカードでの買い物を思い出して欲しい。
10万円の買い物をクレジットで支払った場合、お金は後から入るにもかかわらず、お店は支払いを信じて品物を渡す。
この時、お店が信用しているのは、初めて見たばかりのお金を持っているかどうか分からないお客ではない。
クレジットカード会社だ。
お客も現金を持ち歩かず、買い物に小さな板を使うのは、カード会社を信用しているからだ。
つまり、この時米国政府が必死になって探していたのは、カード会社にあたる、
お互いに信用できる第三者だった。
5年越しの開放
タリバンとの直接交渉は、アフガニスタン政府を通して行われた。
というのも、タリバンの後援者は主に各種少数部族であり、部族間のつながりを良く理解し、
交渉の場を作れるのは、地元の政府。この場合はアフガニスタン政府だった。
実際、イラクで捕まった日本人の救出にも、イラクの政府関係者が尽力している。
だが、互いに信用できる第三者はこのアフガニスタンではなかった。
対話には丁度良くても、タリバンの影響力が強い地域でタリバン幹部を開放するのは危険過ぎる。
そもそも政府関係者の中にもタリバン関係者が紛れ込んでいるのだ。
そこで選ばれた第三国はカタールだった。
立地的にサウジアラビアの隣、半島であるカタールはタリバンの影響力が及ばない。
そして、イスラム教の国であり、タリバンとしては西洋諸国より信用のおける国。
そこまで準備は出来たものの、今度は政治と立法の間で交渉が進まなかった。
囚人を特別に開放するための手順が厳しく、議会の承認が必要だった。
それが先月、ようやく批准され、開放される事が決まった。
タリバン幹部5名はグアンタナモ湾収容キャンプよりカタールへ移送され、ボウ・バーグダル軍曹は米軍の特殊部隊に、タリバンのメンバーから引き渡された。
特殊部隊がボウ・バーグダル軍曹を確保し、無事を確認した所で、オバマ大統領が捕虜の開放を宣言。
こうして、無事バーグダル軍曹が祖国に帰ってこれるようになった。
5年間バーグダル軍曹がどんな生活を送っていたのかは分からない。
捕虜開放の陰でどれだけの関係者が、たった一人を救う為に努力していたのかも分からない。
タリバン幹部を開放するのが、本当に正しい決断だったのかも分からないが、
たった一人のために国がここまで動くからこそ、人々が安心して暮らせる国になるのだと思う。
続報:
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2009年、6月30日。バーグダル上等兵はアフガニスタン南東部にある、パクティーカー州の小さな村の近くで歩哨をしている際に行方不明になった。
この村のすぐ東側には、連邦直轄部族地域(FATA、トライバルエリア)と呼ばれる、パキスタンに属しながらパキスタン政府の支配が及ばない、小さな部族が集合して治めている特殊な地域がある。
パキスタンに属しているため米軍が侵攻できず、さらにパキスタン政府の支配が及ばないエリア。
アフガンが米軍の支配下に入り、イラク攻撃で拠点を失ったタリバンは、当時、このような特殊な地域に潜伏する様になっていた。
そのため、その5日前にも近くで即席爆発装置(IDE)による攻撃で、バーグダル上等兵の友人であるブライアン・ブラッドショー中尉が亡くなっており、かなり緊迫した状況にあった。
そして、彼が行方不明となったすぐ後に、捕虜になった彼の5本の映像が公開された。
同時に、タリバンは100万ドルと21人のタリバン幹部の開放を要求し、応じなければバーグダル上等兵を殺すと米国政府を脅迫する。
米国政府はテロリストと交渉することは無いと取引には応じなかったため、タリバン側は要求を5人のタリバン幹部の開放にまで引き下げている。
しかし、それでも米国政府は取引に応じない上に、何と彼を上等兵から軍曹に昇進させた。
いわゆる二階級特進である。
日本だと戦死者に対して送られるものだという印象があるが、米軍では生死を問わず功績を上げた者や有能な者を大抜擢する場合に大きく昇進する事は普通。
ただ、このようなケースの場合、「敵に捕虜になりながらも屈しなかった勇敢さ」という功績に対しての昇進であり、死を覚悟してくれと家族に伝えるようなもの。
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しかし、本当に捕まった捕虜の救出を諦めていたわけでなかった。
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(仲間を決して見捨てない)
と言う精神は、決して嘘ではなかったようだ。
最初の数ヶ月は軍隊を総動員して救出作戦を実行。
しかし、既に他国に連れ去れられた可能性が濃厚であり、軍隊での救出は不可能と判断することになった。
そして、囚人と捕虜の交換方法を模索することになる。
相手はあくまで犯罪者であり、対等な関係ではない。
テロリストや犯罪者は簡単に言うが、
実は、対等な関係ではない二者が、対等な環境で何かを交換する事は非常に難しい。
例えば、この手の交換方法で一番確実なのは、互いに人質を連れてきてその場で交換すること。
しかし、タリバンと米軍。強いのは米軍であり、交換が無事完了した直後に、交換したものをその場で取り返せる力を持っているのは米軍だ。
タリバンとしては、その場で交換する様な真似は出来ない。
では、先に囚人を開放させ、絶対に米軍が取り返せない状況で捕虜を開放させたらどうかと言うと、
そんな状況でタリバンが捕虜を開放すると言う保証はどこにもない。
米軍がそう言う交換方法には乗れない。
そもそも、全くお互いを信用しあっていない二者が取引など出来るのだろうか?
難しいが、方法が無いわけではない。
クレジットカードでの買い物を思い出して欲しい。
10万円の買い物をクレジットで支払った場合、お金は後から入るにもかかわらず、お店は支払いを信じて品物を渡す。
この時、お店が信用しているのは、初めて見たばかりのお金を持っているかどうか分からないお客ではない。
クレジットカード会社だ。
お客も現金を持ち歩かず、買い物に小さな板を使うのは、カード会社を信用しているからだ。
つまり、この時米国政府が必死になって探していたのは、カード会社にあたる、
お互いに信用できる第三者だった。
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タリバンとの直接交渉は、アフガニスタン政府を通して行われた。
というのも、タリバンの後援者は主に各種少数部族であり、部族間のつながりを良く理解し、
交渉の場を作れるのは、地元の政府。この場合はアフガニスタン政府だった。
実際、イラクで捕まった日本人の救出にも、イラクの政府関係者が尽力している。
だが、互いに信用できる第三者はこのアフガニスタンではなかった。
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囚人を特別に開放するための手順が厳しく、議会の承認が必要だった。
それが先月、ようやく批准され、開放される事が決まった。
タリバン幹部5名はグアンタナモ湾収容キャンプよりカタールへ移送され、ボウ・バーグダル軍曹は米軍の特殊部隊に、タリバンのメンバーから引き渡された。
特殊部隊がボウ・バーグダル軍曹を確保し、無事を確認した所で、オバマ大統領が捕虜の開放を宣言。
こうして、無事バーグダル軍曹が祖国に帰ってこれるようになった。
5年間バーグダル軍曹がどんな生活を送っていたのかは分からない。
捕虜開放の陰でどれだけの関係者が、たった一人を救う為に努力していたのかも分からない。
タリバン幹部を開放するのが、本当に正しい決断だったのかも分からないが、
たった一人のために国がここまで動くからこそ、人々が安心して暮らせる国になるのだと思う。
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