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イヤ・イヤラーたいそう~インドネシアで「あたりまえ」を問う~

 お笑いコンビ・COWCOWのネタ『あたりまえ体操』がインドネシアで受けているという。現地の言葉で「イヤ・イヤラー」と翻訳され、そりゃそうだ、という意味合いだそうな。

 現地の言葉に翻訳して歌い踊った動画をYouTubeに投稿したのが2013年10月のこと。それから1週間で100万アクセスのヒットを飛ばし、今では現地のテレビ番組やイベントにも出演を果たすほどの人気を誇っている。あたりまえなのにあたりまえじゃない、数奇な運命がここにあった。

 あたりまえ、と聞いて思い浮かんだのがウィトゲンシュタインの行ったある考察。だいぶ前に読みかじっただけのことでうろおぼえだけれど、確か次のようなものだった。曰く、ある数学の教師が生徒に、数が1,000になるまである操作(これを忘れた)を続けるように教えていた。この操作は数が1,000を超えても同様に続けるべきもので、その教師は1,000より大きい数についてもその操作を続けるよう生徒に言ったところ、生徒は全く見当違いの操作をし始めた。教師は驚いて、なぜそうしたのかと尋ねると、生徒は、「だって、こうなるもんでしょう」と言った。

 教師にとってその操作は1,000以降も同様に続けるものであり、一方の生徒にとっては、1,000以降になればまた別の――おそらく彼が1,000までの操作を続ける中で理解した何らかの方法――に切り替えるものだという認識の差、いわばあたりまえの基準が違うためにこの問題は起こるものだと、確かこんな風な考えだったように思う。このようにそれぞれ異なる「あたりまえ」の基準がぶつかりあう場合の厄介さから、だんだんと有名な言語ゲームの着想に行ったか行ってないか、斜め読みの上にうろ覚えで申し訳ないけれど、なかなか面白いので興味を持たれた方はこんないい加減な文章でわかった気にならず、ぜひ本人の著書なりしっかりした解説書なりを読んで理解を深めてみることをお勧めする。

 自らの「あたりまえ」を客観視するというのは、ある種の狂気に踏み入ることに近い。自分自身と、自分が信じていたなにもかもを疑うのは、やってみると結構恐ろしい。

 思うに、あたりまえ体操がここまでの人気を博した背景には、かく重苦しい哲学の領域の問題を夏休みのラジオ体操程度の気軽さでそれとなく提示したところにあるのではないだろうか。ウィトゲンシュタインが存命ならこれを見て拍手喝采したことだろうと思ったが、記事を書きながら考え直してやっぱりそんなことはないだろうという結論に至った。イヤ・イヤラー。








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